ぽめcの脳内を晒す場所

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僕の頭の中をのぞいてみませんか

限りなく他人の、親と呼びたくないゴミ

こんにちは、ぽめcです。

 

今週のお題「おとうさん」

 

恐らくこの話は長くなるんじゃないでしょうか。そして、話が途切れ途切れになっているかもしれませんが、ご了承願います。あまりいい話ではないです。

 

 

まずタイトルのことですが、説明の際にわかりやすいかと便宜上「父親」と書いているだけで、僕はあの人のことを「たまに家にいる奴」くらいにしか思ってません。

 

何故こういう感情に至ったかは、小・中学生の頃にあります。

僕は父親から暴力を受けていました。

ご飯を食べたばかりなのに腹を殴られたり、風呂であっついお湯かけられたり、果てにはファミレスで大勢の人がいる中怒鳴られたり。

これだと理由が「食後に皿を片付けなかった」とか「母親をイライラさせた」とかまだ"まとも"なもので、酷い物だと、就寝時に母親に「エアコン付けていい〜?」と聞くごく普通の会話で仰向けになっている僕の顔面に拳を振り下ろしたり、妹が机(か壁の角)に指をぶつけて泣いたら何故か僕が悪いことになって殴られたり、およそ理不尽なものもありました。というか理不尽じゃないものもあると思っている時点で支配は終わっているのかもしれません。暴力は全て理不尽なはずなのに。

 

食後の腹パンは吐きそうでしたし(吐いたら殴られるとわかっていた)、お湯はとても熱かった。

といっても、お湯に関していえば桶に溜めたものなどではなくシャワーだったので、せいぜい43,44度かと思われますが、あの頃の僕に熱湯と思わせるには十分でした。

 

そして"あいつ"が殴った後に大体言う言葉が

 

「これは○%の力だ」

 

でした。大体は30%くらいだったと思います。今思い返しても、よくこんなセリフ吐けるな。

 

あの頃は完全に恐怖政治でした。恐怖で支配されていました。

"あの頃"はもちろん、今も父親と同じ空間でご飯を食べたくはないですし、どこかに行きたいとも思えません。同じ空間にいたくありません。今殴られることはないだろうと分かってはいても、怖いです。でもそんなことを言えるはずがないし、態度に出せるはずもない。何もされないとしても、どうなるかわからない恐怖が染み付いているから。

 

話を戻して

 

じゃあ母親が制止しなかったのかと聞かれれば、一応しました。でもほんとカタチだけですよあれは。

父親が殴れば一応何か言うくせに、自分は(手ではなく)足を出したり、積極的に父親にチクってましたから。僕にとってはあいつらは味方同士です。

 

正直、小学生の頃がいちばん死にたいと思っていました。学校には居場所がなく(それは今回の内容とは違うので割愛)、家にも味方がいない。むしろそれで何故生きたいと思うのかわかりませんでした。

まぁ結局死んでないから今こうしてかけているのですが。

あの頃は友達が羨ましかったです。中学の頃は塾に行っていて、その友達の親が友達を迎えに来て、僕も乗せてくれた事があるのですが、「なんでこんなに仲が良いんだろう」というくらい"友達のような親子"で。羨ましかった。というか僕の方が異常なのではないかと思い始めました。

脱線してこれは母親の話。

非常に悲しい事ではありますがニュースで子供が虐待を受けている(あるいは過去形)というものを目にしますよね。時には死の場合も。

こういうのを見て「えー」とか「かわいそう」とか、さも悲しいような態度を取りますが、こんなのちゃんちゃら可笑しいですよ。

一歩間違えればあんたはあちら側だったのに、なぜ自分の行動を無かったことにできるんだ。

 

脱線おしまい。

 

 

はじめに小・中学のころと書いたように、高校生に入ってからはそういったものは無くなりました。僕は腹が立ちました。

 

なぜ殴り続けないのか。

 

それじゃあまるで弱いものイジメじゃないか。

 

この頃になると僕もそれなりに力が付き、「次に殴られたら今までの分を全て返す」と覚悟していました。その時を心待ちにしていました。こういう事を言うとその道の人に非難を浴びると思いますが、僕は高校では和太鼓をやっていたのでバチを持っています。木材。いわば鈍器です。これで文字通り死ぬほどボコボコに殴ってやるつもりでした。むしろそれで僕が返り討ちに遭い、何かしらの出来事で運悪く僕が死んでしまっても、それであいつが殺人で逮捕されるなら本望だとおもっていました。

 

でも、小中学生の頃なら確実に殴られたであろう出来事でも、殴られなくなった。

 

父親は弱いものイジメをしていただけでした。力が付いた人は殴らないなんて、たかがその程度の覚悟で僕は殴られていました。

 

 

僕は一生結婚することはないでしょう。自分の子供を虐める親の血なんか断つべきです。結婚したとしても、子どもという選択肢はないでしょうね。

「この出来事があって、こう考えているなら大丈夫では」と思う方はいるかもしれませんが、分からないからこそ恐怖。ふとした事で同じ道を辿るかもしれないし、辿らないかもしれない。どうなるか分からないからこそ、怖い。

 

まだ書いてないこともあると思いますが、そんなに面白い話でもないのでここら辺で。

 

僕は自分の父親が死んでも泣かないでしょうし、むしろ「ざまぁみろ」とさえ思うでしょうね。

幼少期の出来事って、大事なんだなぁ。

 

最後に、ぽめcまたはこのブログに関する言葉にご記入していただけたら嬉しいです。

ご記入してくださった方々、ありがとうございます。

 

今日は、この辺で。